奴隷船

■本日の読書:『朝日百科世界の歴史89 悲しき奴隷船』
 しばし中断していた世界の歴史であるが、やはり題材が奴隷交易となると何かと内容も重苦しく、読んでいて鬱々として心楽しまないせいである。
 (略)
 ……
●大西洋の黒い積み荷
 平たく言ってしまうと、大西洋における奴隷貿易の記事なのだが。
 コロンブス以降のアフリカ人奴隷の数は、推定1135万人という説もある。意外にも大手の購入先はカリブ海やブラジルであったという。ジャマイカなどでは年6千人は補充しないと奴隷人口が維持できなかったというのだから、その過酷さがうかがえる。
 で、運び方であるが100tの船に414人の奴隷を積んだとかいうかなりえげつない記録がある。奴隷の積み込み方の手引き書があり、どう詰め込めば効率的化とも書いてある。ぎっちり詰め込むのが「固め荷造り派(タイト・パッカー)」でそれに対し「緩め荷造り派(ルース・パッカー)」というのもいたのであるがもちろん人道的な理由ではなく、その方が途中の死亡率も低く比較的健常な奴隷が運べるので一人当たりの売り上げが高いからというさもしい話である。

銅大のRPGてんやわんや 「日記」2003年8月12日

 カリブ海の諸島に多数の奴隷労働力が移送されたのは、ヨーロッパ人植民がそれ以前にいた先住民を殲滅した後に、現地に拓いたプランテーション農業を運営するためでした。

 ……島嶼部の植民地化には共通の特徴がある。それはヨーロッパ人の到来によって三、四〇年のあいだに原住民がほぼ壊滅してしまい、その空白を埋めるために、大西洋の彼方から大量のアフリカ人が奴隷として移送されたということだ。要するに、それまでそこにあったひとつの世界がまるまる消滅し、外来の人間がそこに別の外来の資材(奴隷)を投入してまったく「新しい世界」をつくったのである。ヨーロッパ人にとって「発見」したアメリカは「新世界」だったが、その世界はたちどころに破壊され、凄惨な廃墟のあとに文字どおりの「新世界」が新たに作られたのである。

(「訳者まえがき」より ─ パトリック・シャモワゾー/ラファエル・コンフィアン、西谷修訳『クレオールとは何か』平凡社、1995年、p.9)
 クレオール文学のもうひとつの導火線は、いうまでもなく奴隷船の恐怖のなかで始まった。アビタシオンが設置され、人手が必要だった。カリブ族は皆殺しにあっていた。(略)
 それがホロコースト中のホロコーストたる奴隷貿易だった。五千万人以上の人びとがおのが大地から引き剥がされ、輸送船の船底につめ込まれて、西欧の投擲物のおぞましい奈落に突き落とされた。植民地で砂糖を作るために「ニグロ」が発明されたのだ。(略)
 ……
 奴隷船の船倉をなんと言おうか。存在を解体してしまうこの恐怖をどう語ろうか。岸が遠ざかり、深い海の冷たい呟きだけが船体から滲んで立ち昇るようになるときの、未知のものに対するあの眩暈を、なんと言い表わしたらよいのだろう。(略)
 恐怖による呆然自失や、呻き声、嗚咽、呪いの祈祷、あるいは瀕死の喘ぎに混じって、不意に船倉からわき起こる叫びを想像することができるだろう。だれでもよいアフリカ人の叫びだ。自分の無力さにもかかわらず、そのアフリカ人は鎖を拒み、自分の置かれた状況に呪いを浴びせる。進行中の事態に対するその抗議によって、この男はすでに、力と反発の活力を創始したのであり、そこにクレオール文学の最初の描線が引かれることになる。……

(『クレオールとは何か』p.47-40)

 実際に運ばれた人数については、だいたい一千万人前後という推定が概ね主流のようではありますが。言い換えれば、数百万の人生と“叫び”が、認識の「誤差」の範囲に入ってしまうということ。