その後のトマソン

谷町の煙突

 赤瀬川源平の『超芸術トマソン』の表紙を飾っていた、あの衝撃的な写真がどこかにないかな、と探してみたらありました。この場所は現在、アークヒルズになり、同じ位置にはサントリーホールが建っているそうな。撮影したのは飯村昭彦さんという写真家の方。
 「トマソン」が次第に話題に上らなくなったのは、街が変化するスピードがあまりにも速くなりすぎたからか、路傍のしょうもないものを愛でる余裕を失ったからか。
  あまりにも有名なので今さら紹介するのは気が引けるのだけれど、「トマソン」的な視点で東京をとらえた素晴らしいサイト東京真空地帯も私の好きなサイトのひとつ。いずれ消えゆく(あるいはすでに消えた)、はかない風景の記録。

読冊日記 2003年5月21日

東京真空地帯」は移転していたようなのでリンク先を変更しました。でもこういうのって引用規則に照らした場合OKなんでしょうか。それとも活字みたいに「ママ」って書いてそのままにしておいたほうがいいのかな?

 失われゆく街を誰も振り返らないというモチーフは劇場版『機動警察パトレイバー』にもありましたが、あの作品は1989年のまさにバブル景気真っ盛りの時代に作られた作品でした。
 その後トマソン的なものは、一方では「廃墟系」として、他方では「VOW!」とか「GON!」とか根本敬みたいな形で、一応90年代にも命脈を保っていたように思います。ただこれはどちらも、廃墟の虚しさの中に人生っぽいものを発見しようとする自分探し系か、あるいはもっとサイコな方向性かという違いこそあれ、いずれも内向というか内面への沈潜を志向していたような印象があります。平たく言えばエヴァ系ですね(ぇ)。
 忘れられるものは端的に非存在となり、ただ人の内面にのみその痕跡を留める……というあり方が、「トマソン」以後ますます過激に加速していったのかもしれません。

 ……目まぐるしく更新を続ける世界の中で、今となってはすっかり忘却され誰にも見向きもされない、そんな時代の狭間に投げられたかそけき声に、ほんの少しでいいから耳を傾けてみたらどうなるだろうか。蟷螂の斧かもしれないけれど、でも例え僅かであっても「声が届く」可能性をメタメッセージとして放つことができれば、それはちっぽけだけど“希望”の契機になるんじゃないか。大海に投じられたボトルレターが、もしかしたら遠い岸辺で誰かの手に取られているかもしれない。そのかすかな可能性に対する希望。