現実か、過去か

 現実にありそうでどこにもないものを次々と生み出してきたクラフト・エヴィング商會の6年ぶりの新作『おかしな本棚』(朝日新聞出版)。そこに出てくるのは、「金曜日の夜の本棚」や「声が聞こえる本棚」など31のテーマに沿って並べられたおよそ700冊の本と、それぞれの本棚にまつわるエッセーだ。……
(略)
 数々の本の装丁を手がけ、自著では架空のメニューやビンのラベルなども全て自分たちでデザインしてきたクラフト・エヴィング商會だが、『おかしな本棚』に並んでいるのは、ほとんどが他の人が作った実在する本。「これまでやってきたデザインや小説も、誰かが発明した文字や言葉を並べているだけとも言える。すべてのアートは『並べ替え』だと思う。だから、自分や他人ということは特に意識していません」

並んだ背表紙から広がる世界 クラフト・エヴィング商會『おかしな本棚』 ─ asahi.com 2011/5/16
 架空の本、架空の商品、架空の職業……。吉田篤弘さん(49)、浩美さん(47)の夫妻で「商会」を名乗り、懐かしさを感じさせるグラフィックとともに、「ないもの」をあるかのように見せた事典や目録を十数年にわたりつくってきた。しかし今回は「本物」の本が並んでいる。なぜ?
 「『商会』を始めたきっかけは、古本屋で、昔の扇風機やアイスクリーム製造機の説明書を見つけたこと。今となっては当たり前のものが、生まれた当時はとても新鮮であるように書かれていた。『魔法瓶』なんて本当に『魔法』だったんだと思う。その感じを伝えたくて、あえて架空のものを作ってきたが、現実の新鮮さを知ってほしい、というメッセージがなかなか伝わらなかった。だったら現実のものを交ぜてもいいんじゃないかと思って」と篤弘さんは話す。

おかしな本棚 クラフト・エヴィング商會 ─ asahi.com 2011/5/15

 勝手な想像ではあるけれど、「現実の新鮮さを知ってほしい、というメッセージがなかなか伝わらなかった」のは、現実の新鮮さなるものに目を向ける余裕が誰にもなかったからではないだろうか、と思う。
 クラフト・エヴィング商會の第一作『どこかにいってしまったものたち』が世に出た1990年代後半は、バブル崩壊後の不況が長引いて人心はすっかり後ろ向きになり、「リストラ」という言葉に「首切り」という意味が完全に定着した時期でもある。この頃、失われて二度と戻らない栄華の過去を懐古する「廃墟系」が静かなブームともなっており、この後2000年代には『三丁目の夕日』が大ヒットしたりもした。クラフト・エヴィング商會の作品群は、「現在目の前にある新鮮なもの」というよりもむしろ「失われて二度と手の届かない幻想的な過去」という意味合いにおいて、つまり内向性と懐古志向の文脈において受容されたのではないだろうか。あの美しい時代は思い出の中にのみ存在して二度と戻ってくることはないのだ、という過去への美化と哀惜の意識を伴いつつ。