憎悪週間

落書き・侵入…東電へ抗議過熱 自衛に寮表札の社名隠す (2011/4/2)

 危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所。国民の不安といらだちが募る中、東電や社員への苦情や脅迫、嫌がらせが目立ち始めた。東電は社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した。警視庁も警戒を強める。
 3月下旬、東京都中央区の東電の社員寮。入り口に掲げられた表札に黒い粘着テープが貼られ、社名が隠された。
 東電東京支店が同月22日、23区にあるすべての社員寮に、表札にある社名を消すよう指示したためだ。23区には家族寮と独身寮が複数ある。各寮は、アクリル板や粘着テープを社名の上に貼ったり、社名を抜いた新しい表札に取り換えたりする作業に追われた。
 東京支店は「社員と家族の安全を守るため」と説明する。
 きっかけは、渋谷区にある東電のPR施設「電力館」の壁に震災後、赤いスプレーで「反原発」と落書きされているのが見つかったことだという。
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 東電関係者によると、東京支店で電話相談を受け付けるコールセンターには連日、原発事故や計画停電への苦情・抗議が殺到。電話応対の処理能力を超えているという。同センターに直接来て、「なぜ電話に出ないんだ」といらだちを職員にぶつける人も出ている。
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 東電の男性社員は「自分だけでなく、家族も相当まいっている。妻は『肩身が狭い。近所の人からも白い目で見られている気がする』と話していた」と嘆く。
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http://www.asahi.com/national/update/0402/TKY201104010561.html

 以前、映画監督の森達也氏が、オウム真理教取材の経験から得た実感として、「悪」よりも「正義」のほうがよほど悲惨な結果を招くということを語っていました。悪と知って悪を貫くほど人間は強くない、むしろ自らの為すことを正義と信じるからこそ、その「正義」に立脚した他者への攻撃はより容赦ないものとなる、という趣旨だったと記憶しています。
 “組織としての”東電の肩を持つ気はありませんが、組織のメカニズムはしばしばその中にいる一人ひとりの人生や思惑や価値基準を離れたところで、組織としての集合体に独自に内在した論理に基づいて動作するものです(会社勤めの方なら日々実感することもあるでしょう)。でも、組織の“属性”を「悪」と規定して、その中にいる個々の人間もまた同じ「悪」の“属性”を帯びていると捉えると、組織内の個人を直接標的とした攻撃もまた「悪」を倒す「正義」の行為として攻撃者の内面で正当化され、それ故に容赦ないものとなる恐れがあります。

 政治家とか高級官僚とか、権力を持つ者が理不尽なことをするならば、それを批判することは難しくない。けれど、それらを支え同調する一般の人々が、ここまでファナティック(狂信的)になり、熱狂している最中は凶暴きわまりなくなるような社会になると、その人たちに向かって批判を投げつけることには恐怖がある。特に、日本社会はその恐怖が共同体を支配してきた歴史が強い土地だと思う。

星野智幸の日記 2006年9月23日

 日本が特にひどいのかどうかはちょっと判断できませんが、集団をひとかたまりの単一な実体として捉えたり、集団の中の一個人をもっぱら「集団と同じもの」という位相でのみ捉える事に慣れた文化的土壌の上だと、こういう事態が比較的起きやすいとは言えるかもしれません。