out of control

しっかり調査して綿密な計画を立て、計画通りに実行すれば、必ず良い結果を生むはずだ--計画制御にはいつもそうした「期待」がつきまとう。だが、往々にして「期待」通りの結果が得られないのが世の常であって、わたしたちはそうしたことを嫌というほど体験しているはずだ。にもかかわらず、多くのプロジェクトがアホのひとつ覚えのように計画制御的に進められ、参加者はみな苛立ち、怒り、焦り、疲労困憊し、まるで計画でもしたかのように失敗への道を転がっていく。
(略)
Y先生は「問題なのは計画の立て方ではなく、『調査・計画・実行・評価』という枠組みそのもではないだろうか」と問う。つまり、複雑な世の中をいつも線型に(リニアに)考えるのは愚の骨頂だということだ。わたしたちは「机上の空論」「絵に描いた餅」など諺の意味をすでに実感をもって知っている。にもかかわらず、わたしたちが同じ過ちを犯し続けるのは、線型モデルが示すわかりやすさ、説得力の結果かもしれない。
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計画制御の愚 ─ 「論駄な日々」2007年4月22日

 先月発生した東日本大震災福島第一原発が大きなダメージを受け、現在も炉心の冷却と放射能汚染の拡大防止に向けて必死の作業が続けられています。これもまた、一度計画の軌道を外れると事後の収拾がつかなくなる、巨大技術のリスクの大きさを如実に示す一例ではないかと思います。
 技術による自然のコントロールを考える際には、「いかにしてすべてをコントロールするか」という観点だけでなく、「コントロールできる範囲を越えたリスクに対してどれだけ事後の対応が可能なのか」という観点が必要なのでしょう。この場合、現在の知識で使える技術は何でもかんでも投入してどんどん“豊か”になろうという発想よりも、むしろ予期せぬアクシデントを考慮してある程度マージンを取っておく「自制」の発想のほうが重要になります。とはいえ、欲望こそが文明進歩の原動力であると信じてひたすら先へ先へと進み続けようとする文明において、このような「自制」の契機が内在できる余地が果たしてどれほどあるのだろうかと、少々悲観的になることもあるのですが。