出る杭

 当時の自分の写真を見ると、どれも身を乗り出してるポーズだったのでびっくりした。周囲の級友よりも大きく写ろうとしているのだ。周囲の面々も同じく身を乗り出しているので結果的にはそれほど目立っていないのだが、それでも「自分が大きく写ろう」とする姿勢を持っていた自分が新鮮だった。
 というのも現在のぼくは、なるべく自分が小さく写るように身を引いているからである。
 ただ、これは謙虚になったからではない。歳を重ねるにつれて、「身を乗り出すと頭のデカさが強調されてしまう」ことに気づいたから。
 周囲の者も同じようで、最近のスナップをよく見ると全員、身を引くようにして写真に収まっている。そういや写真を撮るとき、みんな競うようにして「周囲よりも後ろになるように」ポーズをとっているような気がする。
 なあんだ、そうだったのか。大人になるにつれて謙虚さを身につけたのかと思っていたが、みんなそういうことだったのか。自己顕示欲がなくなったわけではなく、利己性が分かりにくい方向に進化しただけの話。
 氷山から海に飛び込もうとするペンギンの群れが、お互いに先頭を譲り合う習性を持っていることをふと思い出した。自分がサメなどに食われるのを避けるために、まずは仲間を飛び込ませて、安全を確認しようとして譲り合っているワケである。
 謙虚さとて利己的行動のひとつなのかもしれませんな。人間が動物の一員であることを実感させられた一件。

Otearai Web プチ日記 2004年9月23日

 他人より突出することではなく、逆に自分が一歩引くことでかえって得になることがあるという認識は、たぶん自分と環境との相対的な関係をより強く意識することによって得られるものではないかと思います。写真に映される時に、「自分がいかに映るか」という主観的視点だけでなく、「他人からいかに見られるか」という客観的視点も考え合わせた行動。または外部のサメという脅威を意識して、出る杭が打たれたり出るペンギンが食われたりする事態を回避しようという行動。「自分がこうすればこうなる」という直接的・一人称的な期待だけでなく、「ある環境の中で自分がこうしたら、その行動に対する環境からのフィードバックはこうなる」という期待をも考え合わせているのでしょう。