8月15日

 8月15日は一般的に「お盆」とされることの多い日付ですが、元々のお盆は「旧暦の7月15日」であり、明治時代に暦法が旧暦から新暦に切り替わった時に、地域によって新暦のどの日付に当てるかの相違が生じたため、今でも地域によっては8月15日以外をお盆とする場所があるそうです。

◆現在の日本をみわたすと、たしかにことなる「3つ」のお盆の時期が見られます。
「7月盆」「8月盆(月遅れ盆ともいう)」「旧盆」の3つです。……
(略)
◆なぜお盆の時期が「3つ」もあるのか?
結論からいえば、明治時代のはじめに旧暦が新暦に切り替えられたとき、全国各地域で対応のちがいがあったからなのです。
江戸時代までの日本の暦は全国等しく「旧暦」(太陰太陽暦)で、江戸時代末期には幕府の定めた「天保暦」という暦が使われていました。当然お盆の時期も、「旧暦・7月」で全国的に一致していました(地域により若干のズレはあった:「特別なお盆」参照)。
明治時代になると、新政府は暦を国際標準化するため「新暦」(太陽暦)の採用を決め、旧暦の明治5年12月3日をもって新暦の明治6年1月1日とする暦の切り替えを行いました。
◆さて、新暦太陽暦)になると困ったことが起きました。
それまで旧暦で行われてきたお祭りや年中行事の日程をどうするかという問題に、各地域が当面することになったのです。
(略)
◆時間のかかった”切り替え”
注意すべきは、旧暦→新暦の切り替えは、明治政府の思惑通りに一挙に進んだわけではない、ということです。
実際には行事により、また地域によって、旧暦と新暦が長く使いわけられてきました。
「お盆」にしても、現在の新暦8月盆が全国的にある程度定着したのは、戦後になってからのことです。

お盆は「いつ」か? その1 ─ 「3つ」のお盆(「盆踊りの世界」)
 伝統的には旧暦の7月15日に当たる中元節の日に行われていたが、現在は地域によって異なっている。8月15日(月遅れの盆)を中心として行うところが多いが、東京など関東圏の一部では7月15日を中心に行われる。
 東京と地方とで盆の時期をずらすことで、縁者一同が集まりやすくなる。皆でゆっくり先祖の供養をするために、このような形が定着したと思われる。農作業が忙しい時期を避けるために、東京と地方とで盆の時期がずれたとする説もある。お盆の最初の13日を「迎え盆(お盆の入り)」、最後の16日を「送り盆(お盆の明け)」という。

東京の「お盆」はなぜ早い? 意外と知らないお盆の基本 (日本経済新聞 2013/8/14)

 ところで私は、8月のお盆が戦後になって定着したという話と、その中日である8月15日が終戦記念日として定着したことの間には、結構浅からぬ関係があったのではないかと思っています。
「先の戦争はいつ終わったのか」の解釈を巡っては、以前より8月15日を終戦の日とすることに対する異議がしばしば提起されることがありました。佐藤卓己氏の『八月十五日の神話 ─ 終戦記念日のメディア学』(ちくま新書、2005年)の紹介ブログ記事より一部引用します。

 最初に述べたように、「8月15日=終戦記念日」は決して必然性のあるものではない。日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日。「大東亜戦争終結ノ詔書」が書かれたのもこの日である。大本営が陸海軍へ停戦命令をだしたのは8月16日。「終戦日」の設定としてグローバルスタンダードになっているのは休戦協定が結ばれた日である。先の戦争の場合9月2日であるため、これに従って多くの国は9月2日を「VJデイ」(対日戦争記念日)としている(旧ソ連、中国、モンゴルは9月3日)。東南アジアの諸国も日本軍の武装解除の日、すなわち九月を終戦としている。8月15日という日は、前日に録音された天皇による「終戦の詔書」朗読が日本国民向けてラジオ放送された日でしかない。
 戦後しばらくは新聞、雑誌、ラジオ等でも、ポツダム宣言受諾の日である8月14日が終戦の日とされていた。しかし、占領が終了後、終戦10周年のイベントが行われた1955年ごろから8月15日の「玉音体験」が神話化されはじめ、そして1963年、第二次池田勇人内閣で「全国戦没者追悼式実施要綱」が閣議決定されて8月15日が法的に終戦記念日となったのである。8月15日と終戦記念日の結びつけは根拠がないだけでなく、歴史も浅いものであった。

記憶の政治学――なぜ8月15日が終戦記念日になったのか(リスタート 2011/8/15)

 なぜ8月15日が終戦の日として定着したのかについては、保守派にとっても進歩派にとっても玉音放送の行われたタイミングが史観・国家観の画期として相応しいものであったこと、戦前の1939年から既に戦没者追悼式の全国中継放送が毎年8月15日に行われていたこと、そして国民全体で参加した「儀式」として玉音放送を捉える感覚が集合的記憶として定着したこと等が、上掲書では論じられているようです。
 私はこれに、「お盆」という旧来からの宗教的・伝統的慣習がうまくマッチした可能性を考え合わせたくなります。

 正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、旧暦の7月15日を中心に行われる先祖供養の儀式のこと。先祖の霊があの世から戻ってきて、また天に帰っていくという日本古来の信仰と仏教の行事とが結びついた行事だ。

上掲日経記事

 先祖供養というお盆の意義と、戦没者追悼という終戦記念日の意義が重なり合い、またどちらも「儀式」的側面の強い参加型「イベント」であったことから、8月15日という日付に対して人々がもつイメージが、「先人の魂を弔う儀式を行う日」という宗教的な部分で上手いこと結節したのではないでしょうか。
 それに加えて、もともと東京以外の地域ではお盆を新暦8月15日に行う場所が戦前から比較的多かったというのも、要因の一つとして考えられるかもしれません。戦前でも既にある程度地方から都市への人口流入はありましたが、それが本格化して過密や過疎が問題視されるようになったのはやはり戦後の高度経済成長以後のことであり、それ以前の日本は都市労働者よりも地方で農業や漁業を営む人口のほうが多数派を占めていました。また旧陸軍の部隊は地域ごとの連隊区を単位とした部隊編成が基本となっており、徴兵や在郷軍人会などもこうした地域別に編成・運用されておりました。つまり、戦後地方に住み続けている人はもとより地方から都市に出てきた住民にとっても、「お盆」になったら帰省して親類縁者で集まって祖先を供養する儀式をとり行うという契機が、宗教的にも旧軍隊的にも8月15日に集中しがちな傾向があったのではないでしょうか。