可能性の獣

「最新作『機動戦士ガンダムUC』にみる、根強いガンダム人気の秘密」

 私もこの正月は『機動戦士ガンダムUCユニコーン)』に耽溺しておりまして、1話から5話まで一気に見ました。いやー面白かった。
 上記記事のように『「親から子へ、子から孫へ」的に旧作の余韻が丁寧に引き継がれていること』……って書くと、『ガンダムAGE』と似ていなくもないように見えますが、どちらかといえば『UC』では『AGE』のような世代間継承モチーフより、それぞれの形で過去の世代の重みを負った同世代の子供たちの間での比較対照のほうが、主眼になっているように思います。
 通時的な連なりや対照に重点を置いた『AGE』に対して、『UC』はあくまでも共時的な連なりや対照のほうが軸になっています。大人たちがバナージに対して大きな影響を与えたとしても、その結果としてバナージが何を選択し何を為すかは、あくまでも今の自分たちの経験・生活実感に立脚しています。前世代の恩讐をそのまま継承したロニ、前世代に対して批判的な思いを持ちつつも急進的な変化による弊害は避けようとする“保守”的なリディ、前世代から未来への連鎖を食い止めようとするオードリー(ミネバ)。そして前世代はともあれとにかく「今、ここにいる自分たち」にのみ足場を置くバナージ。こう比較すると一見バナージが一番「視野が狭い」ようにも感じられますが、「視野の広さ」は実際には過去の世代から引き継いだ世界観・ドクサ(先入見)を強く継承し内面化しているか、ということの別の現れに過ぎないこともあります。UCで描かれているのもたぶんそういう側面でしょう。
 もちろん、過去を踏まえることなく不定の未来にのみ開かれた「可能性の獣」は、それ特有の危うさをも併せ持っているわけで(その視点から見たリディの「可能性に殺されるぞ!」は至言)、このあたりにガンダムUCがどう決着をつけていくのかも先々の楽しみの一つです。

 バナージの無謀さ・無軌道振りって、ある意味で『SEED DESTINY』のシン・アスカの無謀さにもちょっと似ているところがあります。シンはプラントのデュランダル議長(黒幕的キャラ)に上手いこと誘導されて結果的にああいうことになっちゃいましたが、バナージのほうはどうなるのでしょうか。
 ただ、シンの決意や行動をドライブしているのがマユや家族、後にはステラといった物言わぬ“死者”であったのに対して、バナージの場合は生きている「オードリー」であるというのが、決定的な違いにはなっています。それもジオンの偶像たる「ミネバ」ではなく、彼の知る一人の生きた人間としての「オードリー」です。バナージが単に己一人だけの想念で突っ走っているのではなく、あくまでも同じ時間を共に生きている人間としての“貴婦人”に仕えるナイトであることが、バナージの無謀な行動を「暴走」に至らしめず制御する決定的な要因になっています。落下するオードリーを救い出し、さらには宇宙に飛翔するガランシェールをアシストする5話のバナージが、ユニコーンのNT-Dシステムを初めて完全に制御下に置いていたのも、たぶんそういうつながりなのでしょう。恐らく「可能性の獣」は、単に不定の未来に向けて無軌道に走るだけの存在ではありません。
(←…と書いてからよく見返したらバナージ君、ロニとの最後の対峙(対シャンブロ戦)でも一応NT-Dシステムをオートマチック作動させてはいないのね。オードリーを助ける時のように「ユニコーンを完全に手懐けている」という感じではなく、「発動を何とか抑える」というレベルではありますが)

 あと、コロニーで偶然ガンダムに乗る → 地球に降りる → 砂漠を彷徨いながら大人にいろいろ生き様を教えられる → 大きな戦いを経て再び宇宙へ……って書くと、バナージの足跡も過去のガンダム乗りの経緯(アムロとかカミーユとかキラとか)をなぞっているんですね。