ヤンキー化

 斎藤環さんの「ヤンキー化」という表現は面白い。言葉尻で理解を損ねている向きもあるようだけど、「脱文脈化」とか「動物化」と表現するより一般的にはイメージしやすい言い回しだと思う。
 同時に、通じない向きにはとことん通じない話でもあるんだろう。歴史的または理念的「文脈」を全般的な理解の土台にするという思考法をそもそも知らない人は、体系的な知見と断片的な個別トピックの集積の区別がつかないだろう。区別がつかないのなら、断片の力で一点突破することの危うさに気付くこともなく、その力がただひたすらに「実効性のあるもの」として賞賛される。
 でも頭数の大小だけで言えば、そもそも「文脈に照らし合わせながら体系的に理解すること」という知的所作(ガクモン的なことだけでなく全般的に)を知らない人のほうが、圧倒的に多数派なんだろうなとも思う。俺自身、そういうことを本当に理解しているのかどうかとなると、著しく怪しい。