存在と時間…?

 映画評の記事の一節より。

 植物。
 これは実は生き物であり、そして私たちと生きているスパンがまったく異なる。そして、自然の生き物とは、人間も含め、みな、これはどう言えばいいのか、まあ、嬉しくも、そして悲しくも、各自、生きているスパンが完全に食い違うという悲劇を背負っているのである。
 分かりたい、と思った時に、その相手はすでにいない。
 植物と触れ合うというのは、おそらくそういうことを意味する。
 祖父が私を春採湖に連れ出したときにも、ひょっとして、そういう「容赦ない自然の摂理を分かれ」というおせっかいがあったのかもしれない。
 ……

植物が陰の主役 ─ 天満放浪記 2011年9月2日

 異なる生命は、決して同一の時間を生きてはいません。それぞれが“異なる時間”を持ち、決して同一の物として重なり合うことがありません。
 でも、それだからこそ、一致し得ない生命同士が出会うこの世界の一期一会が、「あり得ないことの生起」として貴重な出来事になるのかもしれません。