変わったものは?

 ……ゴミのポイ捨てを現代におけるマナーの低下と短絡的に結びつける向きがあるが、私はそれは違うと思うのだ。昔から、たばこを投げ捨てる人間はいた。ただ、それを拾って生活するような人がいなくなったというだけなのだ。たばこの投げ捨てを現在の人の心の病理というように扱うと、問題が全く見えなくなる。昔も今も人の心というものは、あまり変化していない。それを単に比較して、昔には日本的な美学があったと引っ張ってくるのでは、単なる懐古主義でしかない。

おれさま手帖 KYOTO-STYLE 2002年4月16日

 道ばたを一つの“場”と捉えて、ゴミの動きをその“場”に対するインフローとアウトフローの関連で考えるなら、モク拾いの消滅は吸い殻のアウトフローの変化として考えることができるでしょう。一方ではインフローの変化、つまり人口の増加や都市集中によって吸い殻やその他のゴミのインフローが増加したという可能性も考えられます。
 さらに言えば、雨が降ればすぐぬかるむような未舗装の道路にゴミが落ちている場合と、きれいに舗装された道路にゴミが落ちている場合とでは、例えインフロー/アウトフローが同じであっても、受ける印象はかなり異なってくるのではないかと思います。周囲の生活環境という「地」の上に置かれた「図」としてゴミを捉えるなら、都市や住環境のインフラ(「地」)が整備され近代化した結果として、昔は気にならなかったものが今は気になってしまうという事情もあるのではないでしょうか。