東へ西へ

 ゲイ・カルチャーをモチーフにした1970年代アメリカのポップスグループ「ヴィレッジ・ピープル」の曲に、「GO WEST」というものがある。19世紀に西部開拓の合言葉として多用された「GO WEST」、つまり「西(=未開拓のフロンティア)へ行こう!」というフレーズを引用してはいるが、比較的ゲイ・カルチャーに寛容な西海岸を目指そう……という含みがあるらしい。冷戦中の曲ではあっても別に「東=共産主義圏から西=自由主義圏へ亡命しよう!」というところまで含意されていたわけではないようだが、後にペット・ショップ・ボーイズがカバーした時には、冷戦をモチーフにしたPVが製作されている。
 アメリカ合衆国の文化土壌において、「WEST(西)」というのは単なる方角ではなく、そこに行けば無限の自由とチャンスが待っている新天地=「フロンティア」というアレゴリカルな含意を強く持っているらしい。余談だが、ドリフターズが歌っていたTV番組『飛べ!孫悟空』の劇中挿入曲「ゴー・ウエスト」は、『西遊記』の天竺とアメリカのフロンティアが共に「西=何か素晴らしいことが待っている新天地」というイメージを持っていることに引っかけたもので、このなぞらえかたは素直に上手いと思う。ともあれ、ダニエル・ブーンやデイビー・クロケットといった実在の人物が「建国神話」の光輝を伴って伝説化されたことは、このような文化的背景が元になっている。もしかしたら、冷戦時代の「WEST(西側)」概念がこうした文化的伝統からアレゴリカル・神話的な意味での「自由」「新天地」ニュアンスを強く付与されたために、アメリカ人は「西側を背負って立つこの国こそ世界を救済する場所なのだ」という観念を一層強く持ってしまい、そこから冷戦崩壊後しばらくの間「歴史の終わり」などという大変な思い込みをしてしまったのかもしれない、などということまで想像してしまう。

 冷戦を背負って立つもう一方の雄であったソ連、というよりロシアにも、やはりアメリカの「WEST(西)」に相当するイメージが存在する。ただしこちらは西ではなく「東(Восток)」。アメリカの西には西部の開拓地が広がっているが(先住民の立場はどうなるのかという「政治的に正しい」問いはさしあたりここでは考えない)、ロシアの東に広がるのは言うまでもなくシベリア。シベリアというと何となく流刑とか収容所群島とかあんまりいいイメージが無いようにも感じられるけど、ロシア人にとって「東(ボストーク)」には、アメリカの「西=フロンティア」観念に似た「これから開拓されるべき自由な新天地」のイメージがあるそうで、ガガーリンの乗ったソ連最初(そして世界最初)の有人宇宙船がなぜか「東(ボストーク)」と名付けられたのもそのためだったらしい(「ロシア宇宙開発史 ─ “東方”という名の宇宙船(1)」等)。ロシア最西端の大都市ウラジオストク(Владивосток​)がもともと「東方を征服せよ」という意味であるという話はたまに語られるが(前半の語源である「Владеть」は領有・支配などを意味する動詞)、これも文化的ニュアンスとしてはアメリカ人にとっての「GO WEST」に近い言葉なのかもしれない。