迫るショッカー、地獄の軍団……の断章

 最近、初代『仮面ライダー』をちょっとずつ観ている。
 今の視点で見れば技術的な足りなさや演出上・物語展開上のアラが多数見受けられるところもあるものの、それ以上に当時のレベルから見れば破格のスピーディかつ多彩な物語展開の魅力がよく感じられる。リアルタイムで見ていた子供が夢中になるのも無理はない。
 またエピソードによっては、現在の平成ライダーよりも濃縮された無駄のないプロットが見られるケースもある。ただしこれは、元々ドラマがショッカーとの攻防に絞られて他の要素がほとんど入っていないためでもあり、これを「濃い」と見なすか「薄い」と見なすかは人によりそれぞれかもしれない。昭和特撮フリークの中には最近の特撮を「不要な“人間ドラマ”とやらで薄まっている」と思う人もいるかもしれないし、逆の立場からは「ひたすら戦いしかなくて薄っぺらい」という見方もあるだろう。

 この数日観ていたのは、当初の主役だった藤岡弘氏が不慮の事故によってしばらく出演できなくなった後、急遽佐々木剛氏が起用されて2号ライダー・一文字隼人が登場した頃のエピソード群だ。この時期は路線変更によって怪奇色が薄まりスピーディなアクションで魅せる方向性が強まっていた頃であり、また大阪や北海道での地方ロケによってバラエティあふれる背景も各エピソードに付与されていた。
 個人的に強く興味を惹かれたのは、全編札幌ロケで構成された第23話「空飛ぶ怪人ムササビードル」だ。本編もさることながら、映像に現れている1971年の札幌の風景を見ているうちに、仮面ライダーとはまるで関係の無い佐々木丸美の小説『雪の断章』を連想した。まだ幼い頃のみなしごヒロインが札幌の大通公園で迷子になるところから始まる『雪の断章』は、著者の処女作として1975年に発表された作品であり、『仮面ライダー』とは4年ほどずれてはいるものの、ほぼ同時代と言っていい。

 大通り公園で迷子になったのは五歳の時だった。
 コバルトブルーの空が公園をまるく包んでいた。花壇には、さまざまな色の花が同じ高さにのびて微風にゆれていた。噴水が時々、小さな虹をかけていた。初秋の青い光が、夏の埃と強い陽で焦げたものたちを息づかせ甦らせていた。
 テレビ塔の時計が静かに時を刻んでいた。私は三丁目の端のベンチに腰をかけた。(略)人々はのんびりと私の前を通りすぎていく。旅行者は、時計台の方を指さしたり、記念像の前でポーズをとったり、歩きながら焼きたてのとうきびを食べたり、すべてが楽しいらしく笑いどおしだった。(略)……

佐々木丸美『雪の断章』講談社文庫、1983年、p.7-8)

f:id:hash_ayabe:20130817131003j:plain いささか過剰な少女趣味に彩られた幻想的でファンタジックな恋愛小説の『雪の断章』と、怪奇色と力強くスピーディなアクションに満ちあふれたヒーロー番組の『仮面ライダー』は、確かにおよそかけ離れた存在ではある。でも、小説の主人公たちが見ていた、言いかえれば著者の佐々木氏の念頭にあったと思われる札幌の風景は、きっとこの『仮面ライダー』の作中に現れている風景と同じようなものだったのかもしれないな、などと私は想像してしまう。まだ埃っぽい道が多くて、それなりに高層ビルが立ち並んではいるんだけど現在ほどではなくて、市街地のど真ん中にも大都市に似つかわしくない低い建物がちょこちょこあって、ネオンは存在するけどLED照明による多彩なイルミネーション表現はまだなくて……などといった、高度成長を果たしはしたがまだコンクリートに塗り固められていない土埃の臭いが都会でも感じられるような時代に、同時代的な舞台設定の上で異なる方向へフィクショナルな想像力を働かせた結果が、この二つの作品の相違として現れているのではないか。そんな印象がある。