マクロスの戦後

 最近『超時空要塞マクロス』の初代TV版を観ていて、多少はしょりながらではあるけれど一通り観終わった。一応観たことのある作品ではあるんだけど、間に未見のエピソードがいくつかあったり、もうずいぶん昔に観たきりでほとんど内容を忘れていた回などもあったりしたので、結構新鮮な気分で観ていた。
 既にゼロだ7だFだと大量の続編が製作されているシリーズだけど、今のところそういった続編シリーズはまだ観たことがない。そのうち観た方がいいんかな。

 初代『マクロス』は、もともと当初予定では27話「愛は流れる」を最終回として終了することになっており、スタッフもそのつもりで27話に残る全力を振り絞ったところ、スポンサー都合か何かでいきなり放送期間が延びてしまった……という有名な逸話がある。ただしこの27話終了も実は企画段階からの予定ではなく「打ち切り」によって決まったものなのだそうで、結果的に打ち切り→再延長という紆余曲折を経ることになったわけだ。
 いずれにせよ、スタッフにとってもこの予期せぬ延長は本意ではなかったようで、『マクロス』におけるメカニック系描写の作画監督として「板野サーカス」の名を轟かせた板野一郎氏もこんなことを言っている。

小黒 『マクロス』放映中に、何度かお倒れになったんですよね。
板野 2回ぐらい。
小黒 1回めが10話の辺りで。2回めはやっぱり「愛は流れる」の後に……。
板野 倒れました。
小黒 後半はほとんど参加なさってないですよね。
板野 はい。
小黒 「愛は流れる」の後は、31話に1回名前が出てるだけなんですけど、この時は何をしてるんですか。
板野 この時は平野さんに頼まれて、マクロスを描かされた。その頃は、自分の中で『マクロス』は「愛なが」で終わってたんで。
小黒 あ、やっぱり終わってたんですか(笑)。ご自身の気持ちとしても、「愛は流れる」が最終回?
板野 スタッフとしては「愛なが」が本当の最終回だ、というつもりでした。後は自分達が思ってる『マクロス』じゃなくなってくるんで。
小黒 それは内容面で?
板野 はい。やっぱり、あそこで終わるべきだったんじゃないのかなあと思ったんです。やるとしても、例えば制作的に半年先か、1年先にして。内容ももうちょっと煮詰めてからやるならいいと思うんですが。煮詰めないまんま「延長しなくっちゃあ」だと、付け焼き刃で作っている感じがして。

WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう ─ animator interview 板野一郎(4)

 あとこんな話も。

記憶を補完するために昔の同人誌あさってたら、「カムジン役の目黒裕一さんへのインタビュー」なるものが載ってた本がありました!!
(略)

その中で、目黒氏がこのように仰ってたくだりを見つけました。
「あそこらへん(「愛はながれる」のコト)で終わっちゃえば良かったと思うんだけどさぁ…」

ああ、目黒さん、あなたもそうお思いだったのですね…

ゼントラーディ軍大本営 ─ 25年の月日を超えて、今よみがえる「やさしさSAYONARA」カット部分!!

 実際、27話はSFアニメとして新機軸の多かった『マクロス』の中でもとりわけ斬新なエピソードであり、アイドルの歌に象徴される消費社会文化が宇宙戦争にピリオドを打ってしまうという『マクロス』の破天荒なコンセプトが、ミンメイの歌をバックにしてメカニック同士の精緻なアクションが画面上で所狭しとつるべ打ちされる描写を通して、徹底的に描き出されていた。最後には、地球上の人類は全滅したけれど唯一“文化”を持ってボドルザー艦隊に対抗したマクロスだけが地球に降臨し、観ている側にも「ああ、やりたいことをやり尽くしたんだなあ」ということがハッキリ伝わってくる、というよりこの“続き”などとても想像できない展開で物語は幕を閉じた、はずだった。
 でも延長という冷厳な決定を前にして、なかなか想像できないところを想像して、迫るスケジュールの中でとにかく作らなきゃならなくなった結果が、あのあんまり評判のよろしくない28話以降の展開だったというわけだ。
 しかも、放送終了の翌年(1984年)に公開された劇場版の『愛・おぼえていますか』では、ストーリーは大幅にリライトされつつも基本的にミンメイ軍団vsボドルザー(?)で終了するという“27話最終回路線”が取られており、しかもこの劇場版がやたらとデキがいい伝説的な作品に仕上がったものだから、28話以降の戦後編というかミンメイドサ回り編(?)は余計に日陰者というか“黒歴史”に近い存在に押し込められることになってしまった感がある。

 だがしかし。
 その『愛おぼ』をよくよく観てみると、『マクロス』物語の主軸の一つとも言える輝と未沙とミンメイの三角関係が、TV版27話とは違って割とはっきりした形で“清算”されていたり(これはTV版では実際の最終回=36話にしかないプロットだ)、36話までかけて描いたモチーフを27話までのメインストーリーの流れの中に融合させたらどうなるか、という形で劇場版の構想が立てられたのではないかと思われるふしがあったりする。先にも触れたが、もともと放送延長前の27話構成自体が打ち切り短縮によって決まったものらしいので、そういう意味では28話以降の戦後編が必ずしもスタッフの不本意ばかりによって出来ていたとは言い難いところもありそうだ。
 それに、対ボドルザー戦という宴のようなお祭り騒ぎだけでなく、祭りの後の“後始末”をしっかり描くというのは、戦闘で“ラスボス”を倒して万々歳で終わってしまいがちだった当時のロボットアニメ(今でも?)としてはかなり難しいことでもあるだろう。『マクロス』という作品の特筆すべきところの一つに、戦争の中の日常的な感覚を結構細かく拾い上げているという要素があるけれど、戦後編はさらに難しい「戦後の日常」、宴の後始末も含めた宴の後の日常を描いているわけだ。そんな日常の描写が、大戦争という宴で盛り上がるまでの日常に比べていまいち華々しいスペクタクルに欠けた、盛り上がらず煮え切らない展開に感じられるのは、『マクロス』ならずともやむを得ないというか避けられないことでもある。
 そういう意味では、精算されていない三角関係がさらにドロドログチャグチャしていったり、ミンメイ祭りの勢いで何となくマクロスに味方してしまったゼントラン達の一部がやはり昔の生活スタイルを忘れられずに戦いに走ってしまうという“戦後処理”を描いた28話以降は、27話以前に負けず劣らず斬新な展開だったのではないだろうか。人生は華々しいドンパチできれいに物語の幕を引くなどといった様式美で終わることなく、その後も宴の余韻を引きずったり宴でやらかしたことに後悔したり宴で出た生ゴミの処理をしたりしながら、日常はダラダラと続いていく。そこには、27話以前とはまた違ったリアリティがあるのではないかと思う。もしかしたらそれは、視聴者やスタッフ自身が『マクロス』に求めていたものとは違うリアリティなのかもしれないけれど。

 ちなみに去年は作中でマクロスが進宙式を迎えた年に当たるということで、いろいろイベントがあって盛り上がったりしていたらしい。私のカールチューンが呼び覚まされるのは1周期(1年)ほど遅かったようだ。