パースペクティブ

 ……わたしに「言葉による表現」の楽しさを教えて下さったのは、小学校四年の時の担任教師だったから。ただし教師が特に何かを教えて下さったというものではない。入学以来わたしを最も苦しめた宿題や授業は作文だったのだが、四年になった時の担任教師は、この作文教育に非常に熱心だったため、作文を書く機会はさらに増えたのだ。この「作文地獄」から抜け出す方法を、十歳のわたしは真剣に考えなければならなくなった。
 たとえば「遠足」というテーマを出されると、それまでのわたしは、出発から帰宅までを克明に追い書きしていたのだ。そこからもっと身軽になるためには「ある時間だけを切り取る」という作業に切り替える必要があると思ったのだ。それが一回目から効を奏して(笑)担任教師はおおいに褒めて下さった。そこからわたしは突然「作文地獄」から脱出して、「書く」ことが大好きな少女になったのだ。そのままここまで来てしまった。。。うう~む。

課外授業 ─ 高田昭子日記 2005/4/21

 必要は発明の母というやつでしょうか?(笑)
 時系列的な出来事の連なりを単純に追っていくのではなく、そこに自分なりのアクセントや視角をあてがうことによって、「自分にとって」意味のある風景が浮かび上がってきます。たぶんそれが、その人にしか紡ぎだすことのできない言葉になるのでしょう。技巧ではなく、世界の見方・捉え方によって紡がれる言葉として。