あなたの望んだ世界そのもの / 懐かCM

高速道の一部無料化、28日午前0時開始 対象は37路線50区間

 高速道路の一部無料化が28日午前0時から始まる。対象路線は37路線50区間で、期間は来年3月末まで。自動料金収受システム(ETC)搭載の有無の区別なく、全車種が対象となる。現金利用者は従来通り入り口で通行券を受け取り、出口での提示が必要だ。
 もともと無料化の対象外だった首都高速、阪神高速を除く有料の高速道路の約2割が無料となる計算で、総経費は1000億円。無料化区間以外は「休日上限1000円」などこれまでの料金体系を継続する。
 具体的な路線は北海道では道央道が士別剣淵―岩見沢の139キロが対象となり、最長の無料化区間となる。札幌から旭川方面に向かうドライバーは恩恵を受けそうだ。
 山陰地方では、無料区間と有料区間が飛び飛びとなっていた山陰道が一律無料となる。テレビドラマの影響で観光客が増えている鳥取・境港市や島根・安来市から出雲大社に向かう路線が利用しやすくなる。九州では西九州道佐世保中央武雄ジャンクションが対象になり、ハウステンボスと武雄温泉の観光地が無料の高速道路で結ばれる。
 ただ来年度以降の無料化対象区間は不透明だ。前原誠司国土交通相は「無料化区間を来年度増やすことは当然だ」としているが、今年度無料化した区間は交通量の少ない地方路線ばかり。無料化区間を拡大すれば、距離当たりの必要経費は今年度よりかさむ。
 国交相は「大都市圏は例外にする。大都市を結ぶ基幹道路は(乗り入れる車両に課金する)ロードプライシングを取り入れなければいけない」と述べており、東名高速などは有料を維持する可能性も高い。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E0E4E2E3998DE0E4E2E4E0E2E3E29797EAE2E2E2

 この話題に関連して、既存の無料高速道路開通にまつわるこんな話題があった。

〈風のゆくえ〉高速道路無料化沿道は…

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 秋田国体が催された07年、国道7号と並行するように日沿道ができた。全国で初めて国と県が費用を負担する「新直轄方式」で造られ、岩城IC(インターチェンジ)―本荘ICの21・6キロ区間が無料になった。
 秋田河川国道事務所によると、国道7号の日沿道と並行する区間の交通量は1日約2万1千台。日沿道開通後、ほぼ半減した。影響を受けたのが道沿いのGSや飲食店だ。
(略)
 国道7号沿いに、日沿道の開通で迎えたピンチをバネに奮起した店がある。
(略)
 元々、近くに出来た道の駅やコンビニに押され、売り上げは下降線だった。追い打ちをかけたのが日沿道だ。売り上げは4割落ちた。店をたたむことを考え、ハローワークに通い、求人情報誌を買った。しかし、4人の従業員や妻と小さな子どものためにあきらめるわけにはいかなかった。
 出店を決めたネット市場には数多くの商品が並んでいた。「見た目にインパクトのある新商品を」と、以前から同店で評判の良かった餃子をアレンジ。肉汁を閉じこめたもちもちとした皮に唐辛子を混ぜ、赤色にした。
 「情熱の赤餃子」と名付けて出品。じわじわと人気が広がり、北海道から沖縄まで客ができた。「紅白餃子は縁起物」とお歳暮にも活用される。ネットで知って店に足を運ぶようになった客もいる。
 外川さんは言う。「国道沿いの小さなラーメン屋でもやれると証明したかった」。売り上げはいま、日沿道開通前の水準以上まで持ち直した。
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http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000551006260001

 ぱっと見ただけでは、企業努力によって逆境を跳ね返した、『週刊ダイヤモンド』あたりに出てくるような“ビジネス美談”のようにも見える。
 高速道路開通以来の諸々を経た「使用前」→「使用後」(?)の変化を見てみると、もっとも顕著な変化は、餃子がインパクト狙いの派手なものになったということだ。不特定多数をより多く呼び寄せるために、見た目やキャッチコピーの点でとにかく直感的に目立つものとなった。
 このような話を“美談”として捉えるのはもちろん構わない。ただし、この話を美談と捉える人は、街中に乱舞する原色バリバリの派手なネオンや広告看板や、Web上の随所に氾濫している様々な広告表示を、「ウゼー」とか「美観を損ねる」などと思ってはならない。あるいは思っても構わないが、それを根拠として「だから広告を規制すべきだ」などという結論に短絡的に飛びついてはならない。椎名誠『アド・バード』の世界観の原型ともなっている、派手な原色に彩られた商業広告が生活空間を埋め尽くす世界は、まさにこうした派手な「情熱の赤」を生みだす無数の企業努力の集積によって成立してきたのだから。

 広告関連でもう一つ。
 ニコ動で「懐かCM」タグのついた動画をつらつら見ることがある。こうした動画の主な楽しみ方は、昔見たことのあるCMを見て「ああこんなのあったあった」と懐かしむところにあるんだけど、その他にもう一つ、過去に自分が住んだことのない場所のローカルCMを見て、同じ頃に自分がどんな生活を送っていたかの記憶を重ねながら、後追いで「世界の広がり」を感じるという楽しみ方もある。あの頃の自分は本当に“狭い”人生を送っていたけれど、そんな時期にも世界はこんなに広がっていて、それだけいろんな人生が営まれていたんだな、ということを実感するのだ。
 もちろんCMは直接には商業メッセージであって人生の記録ではない。でも、その時代その場所での人々の生活様式や欲望のありかを、ひいてはその時代・場所における人の生き方の“気分”のようなものを、間接的に反映したものでもある。見たこと無いのに懐かしい、見たこと無いのに切なくなる、そんな楽しみ方が出来る。それはたぶん、未だ見ぬ世界に存在した、もう一つのあり得た人生の可能性を微かに示唆されるからなのだろう。