アジェンダ・セッティング

「アジェンダ」という言葉がある。通常は「議題」「検討課題」と訳されるが、ニュアンスとしては「その議論・討論において主軸として取り扱われるべき議題」といった感じになる。議論の流れの中でトピックの幅が広がっていったり、最初からある程度視野を広く取って議論を多角的に進めていたとしても、議論全体が向かうべき方向性や全体のスコープはあくまでも「アジェンダ」を中心として設定されるべきである、という観念を言い表わした言葉だ。
アジェンダ・セッティング」とは、このような「中心的に置かれるべき議題」「議論全体を方向づけるスコープとして定位されるべき議論範囲」の意識的・無意識的な操作によって行われる、議論誘導の行動(あるいはそのような効果)を指している。そして、事前に何をアジェンダとして設定するかが明示的な形で合意されていない、あるいは原理的に事前の合意など求めるべくもない議論空間(典型的な例としては不特定多数の集団による議論の空間)においては、アジェンダ・セッティングは議論の実効的支配権を巡る“神々の闘争”のアリーナとなることをしばしば避けられない。

 ……あずまん周辺の泥仕合を見ていて、そんなことを連想したりもした。そもそも最初は何が「アジェンダ」だったんだっけか。