はやぶさ慕情

 擬人化「はやぶさ」が大気圏に再突入するイラストが人々の涙を誘い、さらには本物の「はやぶさラストショット」もだいたいこのイメージに沿っているので、なおさら人々に
はやぶさああああああ」
「感動をありがとおおお」
「君のことは一生忘れないよおおお」
という感激を呼び起こしたりしたのは、つい一週間前のことだ。まさかもう忘れてるなんてことないよね?

 ところで、「はやぶさ」について語られる時に『宇宙戦艦ヤマト』や『トップをねらえ!』などの宇宙SFアニメが引き合いに出されるのはもう定番のようなものだ。
 でも、大気圏突入と言えば忘れてはならないのが、『機動戦士ガンダム』初代TV版でクラウンの乗ったザクが燃え尽きるシーンだ。リアルタイムで放送された当時にはそうとう衝撃的な描写だったんじゃないかと思うが、もし「はやぶさ」に魂が宿っていて意識があったとしたら、たぶんクラウンのように死の恐怖におびえて絶叫するか、あるいは使い捨てでリストラされるおっさんの悲哀のように描かれるのが“リアル”な想像力というものだろう。ソユーズ1号のミッションで事故死したコマロフを巡る都市伝説(http://spacesite.biz/ussrspace6.htm)は、大気圏突入の中で“燃え尽きる”ことが意識ある生命体にとってどういうことであるかについての、一般的に持たれる想像力の志向性を指し示している。一言でいえば、決して“ラクな死に方”ではないのだ。
 でも、そういう想像力はどうもあまり歓迎されなかったようで、まるで人々に惜しまれつつ祝福される中で静かに大往生を遂げるような最期が、「はやぶさ」という“キャラ”にはあてがわれていた。まあ、「ミッション大成功」という文脈の中で誰もそんな後味の悪い想像力を働かせたくなかったということなのだろう。

 ……そういえば、なんか前に似たようなのをどこかで見たことあるなあと思ったら、『Kanon』で栞が「私、最後まで笑っていられましたか?」などと言いながら息絶えるシーンだ。確か公園でのデートの最中に死んじゃったんだけど、ゲームでは何だか彼女の存在そのものが消滅してしまったかのような描写だったので、当時この話題をよくしていた連中と「おいおい、そのまま死体遺棄か?」なんてツッコミを入れていたことがある。あれも「キレイに終わる」ことを最優先したら、肉体を埋葬するとか荼毘に附すとかといった生々しい描写を排除したファンタジーに徹するしかなかったんだろう。灼熱の大気圏で燃え尽きバラバラになっていく「はやぶさ」に対して人々が描いた想像力と、何となく似ているようだ。