偶然と憎悪

 先週読んでいた、成田龍一『増補 〈歴史〉はいかに語られるか ─ 1930年代「国民の物語」批判』(ちくま学芸文庫)より、火野葦平の『麦と兵隊』における日本兵の心情描写に関する考察の一部。

 戦場において「生死の境に完全に投げ出されてしま」った火野は、「砲弾が、私の頭上に直下して来ないといふ一つの偶然のみが、私に生命を与へて居る」といい、生死を分かつものとして偶然性を見出している。……
(略)
 ……兵隊たちが「どんどんやられて行く」。「自分には弾丸は当らない、といふやうな確信など、そんなものは何処にもありはしない」。ほんのすこしの偶然が生死という決定的な境界を形成してしまうことに、火野は不条理を感じ、その不条理への苛立ちを一気に「憤怒の感情」として爆発させる ── 「砲弾が、私の頭上に落下して来ないといふ一つの偶然のみが、私に生命を与へて居る。私は貴重な生命がこんなにも無造作に傷つけられるといふことに対して激しい憤怒の感情に捕はれた」。
 注目すべきことは、この不条理への「憤怒の感情」が、「敵兵」にむけられていくことである。「私は兵隊とともに突入し、敵兵を私の手で撃ち、斬つてやりたいと思つた」と、不条理への憤怒を、中国兵に転移している。「支那兵に対し激しい憎悪」をもつ火野は、日本の兵隊を「我々の国の最も大切な人間ばかりである」といい、日本/中国のあいだの境界を強化していく。
 ここには、火野が、日本の兵隊にかぎりない愛情をもっていたことが大きく関与している。(略)いとしい兵隊たちが受ける不条理をも中国兵に転移し、自らの感情を日本兵へ一元化したうえで、中国兵に敵対していく。
 ……

(『〈歴史〉はいかに語られるか』p.149-151)

 自分は偶然や確率に支配された寄る辺ない存在であるという認識が、不安定性ゆえの自由の感覚よりも、むしろ共同体的な紐帯とその裏返しとしての“敵”への憎悪を増幅していくという構図。