中野孝次『ブリューゲルへの旅』

 先週読んでいた本より。

「そもそものはじめは紺の絣かな」とうたった詩人がいて、わたしはこの句にひどく感心した。しかし考えてみると、わたしは幼時に紺絣を着たことがないのだから、つまりまさにその経験がないということのためにとくにこれにいかれてしまったような気が、しないでもない。昭和初年、千葉県市川市はすでに東京のベッドタウンであり、小学生に着物を着る習慣はなかった。と同時に、この郷愁句が思い浮かべている安定した変らぬ生活の実体というものも、そこにはなかったような気がする。
(略)……町がつねにそういう変化変貌の過程にあって、変るということだけがたしかな現実のように感じられたのである。現在自分たちがいる貧しい平凡な日常は、これも変らなければならないもので、変るとしたら必ずいいほうに上っていくはずであった。現状への不満が、現在を不安定な仮の状態と見做すことで、進歩や向上という希望によって緩和されるようであった。特に一九三五年以後、この変化のうねりが忙しくなっていったと思う。

中野孝次『ブリューゲルへの旅』文春文庫、2004年、p.9-10)

 このような書き出しで始まる本書は、ブリューゲルの作品や作家そのものの歴史的な解説を目指したものではありません。筆者が自らの来し方を振り返り人生について省察を思いめぐらす中で、その省察の導き手としてブリューゲルの諸作品が立ち現われてくるという趣旨です。少年の日々、学生生活、第二次大戦の敗色濃い中での軍隊生活、若き日の理想的ヨーロッパ観を打ち砕かれた欧州遊学の日々……そうした人生の様々な局面を振り返りつつ、折々の筆者の心象風景を象徴的に示すビジュアルイメージとして、ブリューゲルの諸作品とその時代背景が挿入されていきます。
 筆者に対して“導き手”としてのブリューゲルが示している方向性は、16世紀の民衆の日常生活を細かい具体物に至るまで精緻に描写することで、当時の人々の生活の実相を後世にありありと伝えることになった、“民衆画家”としての姿です。ただしそこには、決して民衆を観念的に聖化する視点が入り込む余地はなく、筆者に深い感銘を与えたブリューゲルの民衆像はむしろその逆の側面を強調しています。

 貧しくて無知でしたたかな、どうしようもない民衆がいる。かれらは国中網の目のように張りめぐらされた専制支配のなかにいながら、そんな網なぞないかのように鈍重に平気で今日もその生きる営みをつづけている。「ゆたかな台所」の坊主や地主や旦那方の飽食と、自分たちの「まずしい台所」の悲惨を知りながら、その矛盾に憤るどころか、いぎたない言葉でたがいにののしりつつムル貝に争って手をのばしている。地平にはいつも不吉な赤い戦火が燃えているのに、それにさえ気づこうとせずに、食うこと飲むこと踊ることに熱中している。ウィレム・フォン・オラニエ公をはじめとする貴族階級がネーデルラントをスペイン圧政から自由にしようと戦っているのに、それも人ごとのように見て平然と批評している。一体この連中は何なのだ。なんでこうもしぶとく、鈍く、動物のように生きつづけていられるのか。
 だが、それが彼がそのなかで育ち、知識階級の一員として働くいまも、そこから目を離すことのできぬ、唯一の現実なのだ。その無骨な顔、粗野な身ぶり、労働のなかに一瞬現われるある動作が、彼をひきつける唯一の生命なのである。あるときは彼はほとんど絶望し、厭人癖にとりつかれ、青灰色の僧衣をまとった厭世家になる。あるときはかれらのあまりの放埓な寝姿や、逞しさに憎悪さえ感じる。しかし、にもかかわらず彼をもう一度生の方へ引き戻させるのはその同じ民衆なのである。

(p.97-98)

 本書で最初に取り上げられた作品は「雪中の狩人」という作品ですが、口絵として載っている絵を見てどこかで見た作品だなあと思ったら、タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』で“無重力ダンス”のシーンにカットインされていた絵がこれでした。