「人類は何も学ばない」

 ……とは、『フロントミッション3』というゲームの冒頭に登場した言葉でしたが。

 1840年代のイギリスとのアナロジーで思い出しましたが、5月24日にニューヨーク経済クラブで講演したグリーンスパンが、一言
The answer, in my judgment, is no, because there is no tool to change human nature or to predict human behavior with great confidence.
 と言っていたのを再び思い出しました。その時の彼の自問は、
Do we have the capability to eliminate booms and busts? Can fiscal and monetary policy acting at their optimum eliminate the business cycle, as some of the more optimistic followers of J.M. Keynes seemed to believe several decades ago?
 でした。新しい産業が生じてきて、それに関する人々の期待が膨らみ、その期待が実体を追い抜いて行き過ぎになるのは「human nature」のなせる技で、止められないのです。1840年代にそれを経験した人が今でも生きていたら、「ああ、あれか」と90年代末のハイテクブームを冷静に判断できていたかもしれない。
 しかし、人間はせいぜい100年しか生きられない。1840年代のイギリスと鉄道ブームを知っている人は今は誰も生きていない。人間はどのくらい覚えていられるか。出来事によって人間が覚えていられる事は多分違うのでしょう。ブームとその破裂の記憶は、悲惨な戦争などよりも比較的素早く忘れられるような気がする。10年くらいでファンドマネージャーが全部入れ替わると、「いつかまた来た道」になるような気がするのですが。

YCASTER - Day by Day 2001年5月29日

 歴史を証言するテクストやそこから得られた教訓の理論化の成果がどれほどうず高く積まれようとも、それを利用するのはあくまでも有限の命しか持たない“死すべき者”たる人間であり、そんな私たちに千年や二千年の歴史を全て咀嚼することはおよそ不可能です。
 それどころか、うず高く積まれれば積まれるほど、それは埃を被った古い知識であり今の私たちには何の関係もない、と思われることだってあるかもしれません。あるいは、人類文明は過去を克服しながら現在に至ったのであり、したがって現在の文明には過去の過ちの全てが“止揚”された形で含まれている、だから現在を把握することはすなわち過去の全てを把握することと同じなのだ……という弁証法的歴史観(?)を多少なりとも抱いている人も、やはり過去の悲惨にあまり関心を持たないのではないでしょうか。