幻影

近所に建っていた古い民家が取り壊されていくのを、ぼんやりと眺めて過ごす。
ショベルカーに突き崩されていく民家、喉の奥にまで飛び込んでくる砂埃と木の割れる匂い。
開きかけの本のように半分切り崩された民家の前で、僕はただただぼんやりとしていた。
削り取られた扉の向こうに、小さな台所と足の長い木の食卓が見えた。
薄暗がりに取り残された真昼の食卓、不自然に露出した余りに自然な家族の風景。
その中に、ほんの一瞬だけ幻を見た気がして、
近づけば咳込むほどの砂塵に塗れた扉の向こうから、
今にも濡れた手をエプロンに擦り付けながら母が姿を現すような気がして、
僕は足元から立ち昇るアスファルトの熱に揺られながら、ぼんやりとその瞬間を待ってみる。
……

「2002年5月16日の日記」 - 眠れない夜が明ける前に

 日常の風景の中にほんの一瞬、過去の幻影が甦ったかのような錯覚。私の場合には、一軒家やアパートが立ち並ぶ、とりたてて特別なところなどない平凡な住宅街の夜の風景を眺めながら歩いている時に、たまにそういう感覚が頭をよぎることがあります。その一瞬だけ、自分もまたその歳にまで遡ったかのような感覚。でも、すぐに時は戻って、またいつもの日々が時を刻み始めるのです。