索引

 メモ。

ダニエル・ブアスティン『本はいつごろから作られたか』(集英社文庫、1991年)を読む。原典は1983年刊行。内容が多岐にわたる本で、東アジアへの理解も深い。(道鏡が出てきたときには驚いた。)書籍が誕生する以前は記憶術が興隆していたこと、活版印刷誕生前は書写が重んじられていたこと、また誕生後も書写と地位争いをしていたこと、大量印刷は国語の成立に役立ったこと、などなど。
(略)
……索引の効用について説かれているのが個人的にはおもしろい。
索引をつけることを、偉大な法律改革者キャンベル卿(1779-1861)は熱烈に支持した。キャンベル卿は半ば真剣に、索引のない書物を出版した者に罰金を科し、著作権法の恩恵にあずからせないようにしてはどうかと提案したものである(p.238)。

本はいつごろから作られたか ─ 十日日記 2005年12月29日
 ……中世では、「意味」(sententiae)とは、そもそもがテクストを意味の単位に区切って“読む"ということだったのである。
 ついで、索引と検索のしくみが工夫された。しかし今日の読者やユーザーにとっての索引や検索は、電話帳か本の巻末についている索引ページかグーグル検索かを思いつくだけだろうが、また、それらはたんに便利な補助システムだと思っているだろうが、それもまちがっている。初期の索引検索システムは、どんな言葉や用語を目印にするかということではなかったのだ。どんな「意味の単位」によって、どのように「アタマの中に目印を打てばよいか」ということだったのである。
 索引用語や検索記号は今日の書物やパソコンのように、最初から書物の巻末やパソコンの別欄に表示されるものではなかった。アタマと書物の“中”に同時に記されるべきものだった。
 そのため、章や節に番号をふること、テクストをグリッドに分けること、重要な最初の文字を彩色すること、朱書きすること(rubricare)、文中にアーチや柱のしるしをつけること、そのほかさまざまな工夫が試された。……
(略)
 もともと意味を分節化できるということは、アタマに意味が入ったり出たりするその作用に応じて、文章を書き、言葉を活用するということである。少なくとも中世では、意味と言葉と分節化と書物化とは一緒のことだった。
 ラヴェンナのペトルスは、言葉をすばらしく操れる者を称賛するにあたって、「それはまるで、本文と注釈を両方載せた立体的な書物のようなものだ」と言っている。これでも見当がつくように、中世人にとっては、索引がつくということは、アタマの中をその索引によって検索できるようにしておくということだったのだ。

松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇 メアリー・カラザース 『記憶術と書物』