モダン・タイムス

「昭和住宅物語」は一般向けとはいえ建築の基礎知識を要するので、興味のある「3DK誕生記」と「ステンレス流し台の生い立ち」だけを拾い読み。
3DKの歴史的意味:ダイニング・キッチンの完成(食寝分離、テーブル生活の促進)、主婦のスペースの地位向上、工業製品によるモダニズム。
「戦後は終わった」といわれてからもすでに久しい。しかし、集合住宅の間取りひとつとっても、戦後の延長線上から抜け出てはいない。
一方で、高度成長期に生まれた私にとっては、3DKが住宅の基本。初めから洋式の生活の中で育ってきた。このことだけでも日本対西洋という図式は私の生活や思考に即座にはあてはまらない。日本は無ではないとしても、西洋に覆われた中にしかない。
戦後、焼け跡で暮らしや社会を立て直そうとした人々の意気込みには、ダイニング・キッチンやステンレス流し台のように、埋もれていた逸話を知るたびに驚かされる。あの意気込み、夢への挑戦は、いつから効率最優先にかわってしまったのか。
洋式生活への移行、住民共同体の創設など、生活様式まで変えようという意欲的な理念をもった敗戦直後の集合住宅が、田の字に押し込められた、いびつなマイホーム主義に変わってしまったのは、いったいいつのことだろう。
いや、それともはじめの意気込みに、見通しが甘かったとは言わないまでも、いずれ綻びはじめるすきまがあったのだろうか。

烏兎の庭 雑記 2002年10月16日

 西洋と東洋という二元的分類法も、決して自明の“自然的な”ものではないという話を聞いたことはあります。

 それはともかくとして、外部から何らかの意図をもって社会に取り入れられた文物は、必ずしも元の外部の社会における機能的価値とまったく同等の機能を果たすとは限りません。その文物が置かれた背景としての社会的環境との相互作用によって、当初はまったく意図していなかった“副作用”が生じる可能性は常にあります。ただしこれは、文物の元の状態よりそれが外部から輸入され接ぎ木された状態のほうが常に“劣っている”というわけでもありません。
 もともと日本が積極的に取り入れた19世紀型の西洋文明の在り方は効率最優先の発想を下地として持っているものであり、当の西洋においてすら映画『モダン・タイムス』やザミャーチンの未来小説『われら』などの形で、しばしば批判的に言及されることがあるものです。それを緩和する機構が社会の中に備わっているか否か、また備わっているとしたらどのような形であるか、そういった社会的な背景の有り様によって、西洋的な文物が導入後にどのような状態となっていくかはそれぞれ異なっていきます。この点については、本家たる西洋のほうが常に優れた答えを出すとは限りませんし、逆に“東洋の叡智”による「近代の超克」のほうが常に優っているというわけでもありません。