破綻“できる”才能

ちょっと笑った話。
エヴァンゲリオン」の完結版が出来あがる前、庵野秀明萩尾望都が雑談したんだとか。
「あの話の終わらせ方ならわたし、五つくらい考えつく」と萩尾望都
「あんな無茶苦茶なストーリーでラスト五つも思いつくなんて」と庵野秀明
……や、無茶苦茶って自分で言うなよ。確かに無茶苦茶だけれども。
――しかし、萩尾望都が思いついたその五つのパターン、聞いてみたい。

そういえばその昔萩尾望都松本隆が二人して「破綻した物語が自分ではどうしてもつくれないから、憧れる」なんて「エヴァンゲリオン」の話をしていたけれども、庵野さんは破綻しない物語が作れないだけだと思うぞ。

まこりんのつれづれなる日々 2005.04.19

 破綻した物語をつくる ── のではなく、破綻した物語を“つくれる”、という捉え方というのも、たぶんそれはそれでアリのような気がします。
 勝手な想像ですが、破綻した物語を見てそれを「失敗」ではなく「成功」としてとらえる人は、たぶん自分自身では破綻した物語を“つくれない”、言いかえればお話づくりの過程でどうやってもきっちり整合性を持たせた話にしないと気が済まないという、几帳面な気性をお持ちなのかもしれません。
 破綻した物語がしばしば持つ強烈なエネルギーの奔流のようなものをうらやましいと思い、自分でもぜひあんなパワフルな物語を一度作ってみたいものだと願ってはいるんだけど、いざお話づくりを始めてみるとどうしても不整合や説明不足が気になってしまい、ついつい手を入れて整合性を取ったり説明を加えたりしてしまう、そして出来上がったお話を振り返って「ああ、またちまちまと小さくまとまった話にしてしまった、ここには奔流も力もエネルギーも無いじゃないか」……と、そんなことを思ってしまうんじゃないかと。