悪意

 “原因”を特定しつつ、“敵”を名指さないこと。
 何か良くない状況が認識された時に、その状況の原因を特定して改善を図りつつも、原因が人の行為である場合にはあくまでも行為の責任のみを追求し、行為者の人格にまで価値判断を不用意に敷衍しないようにすること。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉にあるようなことですが、これと同じアプローチが法実証主義の理論においては、誰かの行為責任を道徳的責任にまで拡大解釈しないという方向性で追求されることがあります。

 しかし、良くないことが自分自身にとっても都合の悪いことであるなら、人はその行為の裏につい「悪意」や道徳的優劣を読み込んでしまいがちになります。こんな酷いことをする人は、きっと道徳的にも劣っているに違いない。あるいは、相手は悪意ゆえにこのようなことをしたに違いない。もし相手が道徳的に優れた善意の人だったら(あるいは悪意がなければ)、こんなことをするはずがないからだ。そんな判断をつい下してしまいそうになります。