誤読

写真は嘘をつく。幸せそうに笑っている写真が、じつは泣き顔だったり、仲むつまじい夫婦の写真が、じつは不倫中のカップルだったり・・・。一枚の写真が、それを受け止めるひとの感じ方ひとつで大きく変わる。そんな写真の曖昧さを私は愛する。ときとして自分の撮り方、スタイル、そうしたものから自由でありたいと思うことがある。固定化したフォームを延々と続けるだけなら、オートメーションの製造機械と変わらない。私は機械ではない。(3月20日)

1998年のホームページに掲載した文章 小林のりお ─ 1998年3月20日

 写真に限らない話かもしれませんが、元の事象の文脈とは異なる文脈でテクストが読まれる「誤読」は常に生じ得るものですし、またそういった「誤読」が、作品を通して感じられるある種の広がりや自由を、読み手にも作り手にももたらすことがあるのでしょう。最近はあまり流行らないのかもしれませんが。