世界の基準

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 1980年ごろの共産圏を扱った本を読むと、「自由で豊かな社会」の基準が現在よりかなり厳しいのに驚く。たぶん、比較対照する基準点が、1980年と、2010年では異なるからだろう。
 1980年、「不自由で窮屈な社会」の基準は、ブレジネフ時代のソ連、もしくは、黒人差別時代の南アフリカ共和国だった。
 その後30年、我々は、ポルポト政権のカンボジアと、金日成金正日政権の北朝鮮と、ムガベ時代のジンバブエを知った。文化大革命時代の中国の内情や、チャエシェスク時代のルーマニアについても、詳しく知ることができた。その結果、「不自由で窮屈な社会」の基準は、ちょっと過去ではポルポト時代のカンボジア、現在では金正日時代の北朝鮮となった。
 クメール・ルージュの大虐殺にくらべたら、スターリンの粛清も影が薄くなる。監視と貧困と飢餓の北朝鮮にくらべると、とりあえず職は保証されて飢えることもないブレジネフのソ連なんて、楽園のようだ。世界をはかる基準が、そこまで落ちてきたわけだ。世界のレベルがそれだけ落ちてきたともいえる。

くだらな日記 2010年2月22日

 世界のレベルが落ちたのか、かつての私たちが世界を高く見積もりすぎていたのか。それとも基準を落とさないと「あの国よりはマシ」と言えなくなるとか、上澄みを見て絶望するより下の澱みを見て安心することを選んでいるとか、そういうことなのか。