体系を逸脱するもの

中沢新一著『精霊の王』に、中原中也の「サーカス」が引用されています。サーカスのテントが芸能を守るテントというとらえ方で、そのテントのなかで、中也のサーカスという詩の世界=ひとつの芸能である、中也の独創的なサーカスの世界が生まれているというもの。かなり強引な気がしますが、どうやら、哲学者中沢教授は、干からびた、体系としてしての哲学よりも、生き生きとしたあるいは毒々しく悪魔的であれビビットな、世界を見つめる力ある思考そのものを追求しようとしているようです。先生は哲学的思索のなかに芸能のもつ、普段は非在であるところの表現、つまり表現されたものがなければ、この世を捉えきることはできないと考えていらっしゃるようです。

国際サーカス村「村長日誌」2004年4月24日

 世界を捉えるには、世界を丸ごと完全に包摂した秩序的な体系だけでは決して十分ではない、世界を捉える視野を常にすり抜け逸脱するものをも追わなければならない……というのは、恐らく“現代思想”と呼ばれる思潮全体に多かれ少なかれ共通しているのではないかと思います。