違い

そういえば、桜を見ながらこんな事を思い出しました。
伊勢物語より
『 惟喬の親王が桜の花盛りの頃水無瀬という所の宮で花見をしていると、
従者たちが歌を詠んだ

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし [業平]

これに対して

散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき [別の人] 』

上は、六歌仙の一人、在原業平の歌で
“桜はせっかく綺麗に咲いてもすぐに散ってしまって切なくなる。ならばいっそ、桜なんてなければ、春に切ない思いをしなくて済むのになぁ”
という内容で、それに対してある人が(素性は明かされていない)
“いやいや、桜は、はかなく散る様子が美しいのだよ。それに、永遠に存在する物なんて、この世にはないだろう?”
という意味(だったと思う)。
在原業平の歌、現代っ子には不評でしたが(笑)、どちらの気持ちもよくわかる気がします。
……

院生日記 2005年4月9日

 業平も別に「桜の花を技術的に固定して散らなくしてしまえば切ない気分にならなくてみんなハッピーなのに、よし接着剤で花びらをくっつけてしまえ」なんてギークなことは考えていなかっただろうと思います(笑)。
 はかないものに心を揺り動かされているのはどちらも同じで、ただその感じ方を自分の中でどのように消化(昇華?)していくのかという違いが現れているのでしょう。